情景

渓流オセロ

谷間を南へ流れくだる川にかかる橋から、下流をみやると、きのう降った雪がかわらの石の輪郭で溶け残っている。 視線を川上に転じれば、見わたすかぎりの雪は溶け、黒々とかわいた石がいつものように続いていた。 ドウダンツツジの一株ごと北側に丸く溶け残…

君子は豹変す

近所の花屋の店先で笑顔を振りまいていた恰幅のよいサンタクロースが、福々しいシルエットはそのままに、大福餅のような白うさぎに変身していた。

Quo Vadis

窓ぎわの棚にならんだ本で裾をおさえられたカーテンが、乾いた風をはらんで帆布のようにふくらんでいる。部屋の奥深くさしこむ朝の陽ざしに白く輝くさまにみとれながら、足もとの板張り一枚へだてて、静止している建物がそのまま海上へ滑りだすのをまなうら…

減反

夏至が近い。田ごとに映りこむ風景は稲の生長につれて紗がかかり、おぼろになっていく。そんななか時々半分ほど苗を植えずに残された水面には、いまだに雪を残した山並みがくっきりと稜線を浮かび上がらせていて、その澄明さが痛々しい。 幼いころから見慣れ…

名残

廊下を歩いていると金色のコーティングをした針金入りのリボンが落ちていた。ああそういえば昨日はバレンタインデーだった、と他人事のように思っている。 針金はその名を「エスタイ」というらしい。

水槽

めっきり日暮れが早くなった窓は濃い闇をたたえて、つややかに終業時の室内をうつしとっている。降りしきるつめたい雨の音を聴きながらカーテンをひけば、自分の顔が、手が、白い魚影じみてガラスをよぎっていく。

目にもさやかに

ここ数日、玄関の掃き掃除ででるゴミが目に見えて増えていて、夏の少雨と前線の停滞をふたつながら実感する。耳を圧するほどだった蝉の声もすっかり秋の虫にとってかわられた。

魚眼レンズ

最大積載量10900kgの牛乳輸送車の後ろにつけば、丸い鏡状の背面中央、自分の車が玩具じみた小ささで映る。走りだせば、その一点めがけて世界はひたすら収束していく。

峠より

山肌にとけ残った雪の繊細なひと刷毛と優美な稜線のうえに、あるかなしかの噴煙が立ちのぼり、手前の山は芽ぶき直前のいまにも吹き出しそうな気配をたたえてかすかにふくらんでいる。 路肩の雪は薄汚れ、春の光でうすめられて褪せたような空とまだ雪をのこし…

草食

高速のトンネルを出たところで赤色点滅灯をのせた黒い覆面パトカーと、それに従えられた地元ナンバーの車が路肩によってとまっていた。ライオンに噛みちぎられている仲間をよけて走るインパラの気分で、無関心を装って横をすり抜けたあとで、さすがに不謹慎…

車窓

遠くに見える山はいつまでもそこにあって、もうすこしこちらのビル、まばらな木立、その手前の家、眼前の電信柱と、順にスピードを増していく。左に大きくカーブする軌道上、巨大な円盤の縁にたって、それが猛スピードで回転するさまを見ている錯覚にとらわ…

春のきびす

あまりにも陽ざしがあたたかなのでストーブを消すと、コツコツと鉄が冷えていく音のなかに春が来ている。

密会

毎朝必ずとおる切り通しの上の道からは、表通りに面して建つ公民館の裏手がみえる。ふだんはひと気のないそこに、ここ数日、自転車をとめて話をしている高校生がいて、おそらくまだ一度もこちらには気づいていない。声はきこえても内容はわからないくらいの…

擬人

1日に1分のペースで加速度的に夜明けが早くなる朝の住宅街では今年、霜よけ用の銀色のシートが流行っている。明るい空の下で、それがアイマスクをつけた寝ぼけ顔の乗客を思わせる。

魔法陣

朝、霜柱の立った公園の土が日中のひざしにとけて、ふかふかの画布になっている。丸やら四角やら縦横無尽に描かれた線から、昼間ここでくりひろげられた数々の仮想を、無人の夕闇のなかに立ちあげてみている。

職人芸

久しぶりに冷え込みがゆるんだ朝、車のフロントガラスの霜がプラスチックの刃につれてするりと巻きあがるさまに、大根のかつらむきを連想する。

風物詩

ふた月ぶりの集まりの机上、おのおの持参した多種多様なペットボトル飲料の、キャップだけが一様にオレンジ色だった。

乱調

長い信号待ちのあいだワイパーをとめて、フロントガラスにそそぐ雨粒の離合集散をながめている。街並みやテールランプがにじんで流れ下る。青信号を合図に溶けだした景色をぬぐって、すこし進みまたとまる、その何度目かに突然、いままでの五倍もあろうかと…

丘の"身"

冬至までひと月足らず。朝の暗がりで人家の灯りかと思ったそれは、夏のあいだ水も漏らさぬ密度を誇った木々の葉が落ちはじめて、林にあいた穴ごしに見える向こう側の空だった。ここ数日の本格的な北風でまばらだった穴はどんどん増えて互いにつながり、今朝…

えら呼吸

あえてひもをとめずにドアの外に立てかけておいた傘に、手を伸ばしたそのタイミングで風がはいって、ふうっと息をするようにそのひだをふくらませた。毛を逆立てる中型の動物にも見える。

シーソーバス

終点が近づくにつれて満員の乗客は順調に減っていき、とうとう4人だけがなぜか後2列にかたまって残されてしまう。あみ棚の荷物をおろしながら、最後尾の老夫婦の妻の方が、「うしろにかたまっとるでひっくりかえりゃせんかね」という口ぶりがあまりにもまじ…

落ち葉

高速道路の車窓ごし、風にまかれたケヤキの葉が併走しているように見える。午後の陽を受けてめまぐるしく回転する葉は、点滅をくりかえす光となって網膜に焼きついた。

ひとだま

とっぷり日の暮れた木下道を歩くうち、前方に明滅する白いひかりを見た。 すこし身がまえて、目をこらしてみれば、それは衣替えで全身真っ黒になった女子高校生のもつ携帯電話の光が、ときおり頭にさえぎられてはまた現れるのだった。メールを打ちながら行く…

差分

屋根が斜めになっているプレハブ小屋の脇の坂をあがっていくと、目の下にきた屋根に長さの違う取っ手がついていた。持ち上げるときに平らになるように、斜めになっているぶんだけ長さに差があるのだと気がついてからというもの、プレハブを見るたびに、見え…

針が折れそう

ほとんど真上から照りつける強烈な日差しが、ものの影を路上に焼きつけている。ふだんは気にならない電線でさえ、フロントガラスを右から左へ、左から右へとシャープな線を走らせる。この道を上から見たら、道路脇の緑の布をはぎ合わせようとしてからまった…

下へまいります

夕暮れのうす闇の窓に、逆三角形の半透明のボタンがついている、と思ったのは、向かい側のドアの飾り窓からもれる明かりの反映だった。ガラスごしに、下の通りでバスを待つ人たちの列が透けて見えている。 対になるはずの上りのボタンがない、たったひとつだ…

合奏

昼下がりの印刷室に人の姿はなく、ただ1台だけ印刷機が淡々と動いていた。のこりの2台のスイッチを入れて印刷をはじめると、それぞれ微妙に異なるリズムで紙をはき出す音がからまりあって、前衛的な打楽器アンサンブルを思わせる。

人の手にて

長いこと放置されて少したるんだゴム風船におっかなびっくりはさみを入れると、案に反して破裂はしなかった。ぱっくりと開いた切り口からスローモーションで空気が抜けていき、それから一拍おいて火にあぶられたラップのようにくしゃくしゃと縮まっていく。…

タイムリープ

連休中しばらく見なかったら、通勤路の緑が予想外に深く濃くなっていて、大事なところで本を一ページ読み飛ばした気分になった。

天に積め

つい先週、鯨幕がはりめぐらされていた低い塀ごしに、今朝みた庭は、いちめん真新しい砂利がしきつめられ、物干しだけがにゅっと2本、立っていた。毎朝とおりすがりにながめた苔むす庭石も、丹念に刈り込まれたサツキも、冬枯れをしらぬげなリュウノヒゲも、…