ツユクサと郷愁と人の記憶と

kinaさんの「街中の空き地で(http://d.hatena.ne.jp/kina/20050701#1120186736)」を読みながら、そろそろツユクサの花が見たいなぁと思う。
うちの庭のツユクサときたら、草取りの時も雑草扱いしないでわざわざ残してやっているのに、茎は太く株は大きく、ますますたくましくなるばかりで全く花をつける気配がないのだ。植物全般にいえることだけど大事にしすぎると、逆に花や実がうまくつかないことがある。だからといって、「咲かぬなら、むしってしまえ」と思えないのはツユクサの花に思い入れがあるから。
子どものころ読んだ話(多分教科書で読んだ)に、きつねの子に青い花の汁で指を染めてもらって、その指で菱形の窓を作って覗くと懐かしい人に会えるというのがあって、以来ツユクサは母をしのぶためのはかないよすがとして*1私の中に根を下ろしてしまっている。
なんてタイトルだったかなぁとgoogle:ツユクサ きつね 指]で調べても一向にたどり着かない。「ツユクサ」を「つゆ草」にしても「露草」にしてもダメ。何か変だなと思いながら[google:指を染めるに切り替えるとあっさりたどり着いた。安房直子の『きつねの窓』。しかしここで驚愕の事実が判明。ツユクサが出てこない。出てくるのはキキョウの野原。何だって青い汁がツユクサのものだと思いこんでいたのかつくづく考えてみれば、子どもの頃に母がツユクサの花の汁であれこれ染める遊びを教えてくれたことや、長じて友禅の下書きに水に溶けて落ちやすいツユクサの汁を使うことを知ったことがあるような気がする。とはいえ、あんなに好きだった話を間違えて記憶していたのはちょっとショックで、人の記憶の(いや自分の記憶の、か)はかなさも思い知ってしまった。

参考

だんだんbookグループのBookSynapseとの使い分けが悩ましくなって来た…。

*1:母は健在で私より元気にあちこち飛び回っているのにもかかわらず